【皇朝十二銭】通貨の日本史【藩札】

1日本@名無史さん2012-03-21 06:40:18

古代から近代までの通貨の歴史を語りましょう。

江戸時代もう既に為替や小切手で決済していた日本。

はたまた中国から通貨を輸入していた時代もあり

通貨から見た歴史ってやつを見て行きましょう。

5日本@名無史さん2012-03-21 15:28:19

江戸後期の一文て今で言う何円?

6日本@名無史さん2012-03-21 17:18:58

>>5

一両が10万円から20万円だから100円くらいじゃね

7日本@名無史さん2012-03-21 20:46:13

>>6 二八そば(16文)があちこちにあったくらいだからその計算じゃ高すぎる。

1文=20円くらいだと思う。

それで計算すると

1両=8万円

12日本@名無史さん2012-03-22 20:41:37

>>6はなんで金一両を銭一貫文程度のレートで計算してるんだ。

ちなみに、公式レートは金一両が銭四貫文だけど、江戸後期には鉄銭が出回って

銭相場が下落し、金一両が銭六貫文程度。

10日本@名無史さん2012-03-22 13:21:24

>>7

ヒント 金相場と銀相場は変動性

でなきゃ両替商が流行るわけがない。

しかも、それら相場は米相場に連動してる。

13日本@名無史さん2012-03-22 20:46:24

>>12

悪銭とか鐚銭も銭として流通してるし。

藩札も通用してるから。一両現在の価値でいくらとはいえんのだよね。

幕末の動乱で金は流出してしまったし。

日本がアメリカの中央銀行制度になったのは金銀複本位制だから。

実際は流入した銀による銀本位制だったわな。

14日本@名無史さん2012-03-22 22:37:46

>>13

普通は購買力で比較する。当時は今と比べて人件費は激安、食料は高めだった。

概ね一両は5万から20万円とされる。研究者は10万円としている例が多く、

小説家は小判を大金とみなしたがって、20万円と設定したがる人間が多いようだ。

金銀レートは、幕末の開国で銀の価値が極端に下がった以外は、大体公定レートの

一両六十匁から1割2割程度しか振れてないしね。

飢饉では食料価額が極端に上がるけど、飢饉は当然別の話として議論する。

19日本@名無史さん2012-03-23 22:52:23

皇朝十二銭以後寛永通宝が造られるまで600年間は商人・都市部は外国銭、地方は物々交換だったの?

21日本@名無史さん2012-03-24 06:18:20

>>19

蝦夷地でさえ渡来銭の埋蔵例がある。地方でもかなり銭が出回っていたことは間違いない。

永楽通宝は西日本よりも関東でむしろもてはやされたというしね。

49日本@名無史さん2012-04-07 08:58:34

>>21

皇朝十二銭は、北海道の胆振国千歳郡あたりからも出土してるよね

飛鳥時代から平安時代初期に築かれた茂漁古墳群(柏木東遺跡)からは律令時代の六位以下の位階を示す帯金具などとともに和同開珎出てるし

その近辺の数か所の遺跡からは隆平永宝や富寿神宝などの皇朝銭数種も見つかっている

当時、蝦夷征討や粛慎討伐が盛んに行われていたから位階のある人も北海道にいたんだろうな

28日本@名無史さん2012-03-26 12:21:59

あ、いけねレートのとこの数字が入れ違ってる。

永楽銭1=鐚銭4=寛永通宝4ね。

永楽通宝1000文=小判1個が保証相場だったのが

幕末までの銭4000文=金1両の

公定保証レートのはじまり。

29日本@名無史さん2012-03-26 14:59:23

>>28

そのレートも国際標準からかけ離れていて

幕末の金流出だろ?

欧米の商人はろくな事しないな。

ハゲタカファンドといい勝負。

33日本@名無史さん2012-03-26 15:29:03

>>31

スナイドル銃だっけ?規格化されてたのでエンフィールド銃からの

改修を幕末から明治維新後もやってたらしいが。

アホみたいに銃輸入してたからな。

しかもちょうど銃が発展期だったし。

56日本@名無史さん2012-04-08 20:20:15

>>49-51

平安時代初期の天長3年(826年)、

胆振国有珠郡では慈覚大師円仁が堂宇を建て阿弥陀如来を本尊とし有珠善光寺を開山している

室町時代、応仁の乱の10年ほど前に有珠善光寺はコシャマインの乱に害されたが、

慶長18年(1603)松前藩の祖、慶広公が松前の祈願所として再興され、

文化元年(1804)等澍院(後述)や釧路国厚岸郡の国泰寺とともに蝦夷三官寺に指定された

円仁は日高国様似郡でも修行したと伝わり、江戸時代この地には等澍院が建立されている

等澍院は蝦夷三官寺の筆頭寺院であった

坊さんが足を踏み入れるくらいだから、皇朝銭持った和人が平安時代の北海道にいても不思議じゃないわな

52日本@名無史さん2012-04-07 18:58:06

大和朝廷は一旦は沖縄まで統一してるんだよな。その後放棄しちゃったけど。

済州島や鬱陵島も大和民族だったという話もある。

53日本@名無史さん2012-04-08 00:26:36

>>52

そんな話は初耳だが(笑)

57日本@名無史さん2012-04-10 20:30:52

>坊さんが足を踏み入れるくらいだから、皇朝銭持った和人が平安時代の北海道にいても不思議じゃないわな

修行僧は人跡未踏の地に好んで足を踏み入れるけどね。寺を建てたなら技術者は足を踏み入れただろうけど。

65日本@名無史さん2012-04-18 22:15:27

だって、本物よりも品質のいい偽銭が出回るのは普通だったんだぜ>宋銭。

そもそも、中国の前近代の造幣コストには中央に運ぶ輸送費が込だったから、時代と場所によっては本物と全く同じ品質の偽銭を作っても採算が取れたケースすらあった。

66日本@名無史さん2012-04-18 22:28:38

>>65

それは無いな、宋代の銅銭は直接製造費の時点で額面とほぼ同額

あやふやな知識と妄想で出鱈目書いてるサイトをあまり鵜呑みにしちゃ駄目だよ。

私鋳が盛んだったのは秦よりも後、唐よりも前の時代、その時代には冶金の施設と

技術を持つ者の私鋳は、許可されたり禁止されたり偽銭という概念が乏しかったからね。

86日本@名無史さん2013-02-11 18:22:50

>>66

製造費に輸送代が含まれないってのは珍説

材料の銅にだって輸送費が含まれてるのに

88日本@名無史さん2013-02-11 18:49:34

>>66

確か、宮澤知之氏が著書でコスト計算して鋳造地から長安への輸送コストが原価を押し上げて逆転現象が起きたと論じていた筈なのだが。

67日本@名無史さん2012-04-18 22:53:45

江戸時代の日本でも寛永通宝銭は私鋳だろうと普通に出回っていたりする。

68日本@名無史さん2012-04-18 23:13:10

>>67

ところが江戸時代の大阪では手形決済が普通で

現金決済なんぞしてない。銭は庶民向けだね。

更に面倒くさいのはコメ相場と金銀相場が連動していて

今で言うヘッジファンドみたいのが大阪にも居たので

投機で米相場暴騰させたりしてる。

8代将軍吉宗は資本主義経済と最初に向かい合う君主となったのであった。

69日本@名無史さん2012-04-19 01:25:16

ガキの頃に集めてた銅銭(渡来銭・寛永銭など)が数百枚あるんだけど

銅相場が暴騰すれば銅銭を高く買い取ってくれるのかな?

76日本@名無史さん2012-04-21 09:58:31

>>69

その状況だと、まず十円玉が消えるな

70日本@名無史さん2012-04-19 02:50:45

金が流出して国内にあまり無いのは解るんだが、代わりに増えた銀って

主に何になって残ってるんだ??

72日本@名無史さん2012-04-19 06:36:16

>>68

反論の形になってるけど全く話題がずれてるよな。なんで私鋳銭流通の話題が上方の手形流通の話に摩り替わるんだ。

かじった知識をひけらかしたかっただけか?

>>70

貿易銀になって中国とかに大量に流れたよ。

75日本@名無史さん2012-04-20 16:01:57

ところで太閤円歩金って誰が作らせたのか知ってる奴って居る?

やっぱり金の大好きな秀吉なのか・・・

90日本@名無史さん2013-02-12 01:11:37

直接製造費は材料費と労務費と諸経費を合計したもの

意味不明な事を主張しない様にな>>86>>88

そこから更に政府の利潤を上乗せした額面にはなっていない

89882013-02-11 18:51:18

一応、矢印の話は長安の話だけど、中国銅銭の鋳造地が南に偏っていた以上、宋銭も対して変わりなかったのでは?

99日本@名無史さん2013-03-30 08:08:20

>>90

いや、政府貨幣は首都でしか発行できなかったのだから、輸送費も製造コストにカウントとしないというのは当時の中国の国家体制を無視した話で論外なのだが。

98日本@名無史さん2013-03-30 08:05:04

まぁ、宋銭は明代に大量に偽造されて日本に大量に流れ込んだと言う説もあるし

103日本@名無史さん2013-04-08 03:17:18

なんだか地金型貨幣みたいな話だなそれ

105日本@名無史さん2013-04-08 08:46:20

>>103

東洋の銭は、材質よりも円形方孔という製品の形状の方が重視される場合がある。

交易範囲が閉じている場合に見られる現象だけど。銭の重量などよりも枚数の方が

共通の価値を集団全体が認めやすいということだろう。

106日本@名無史さん2013-04-28 11:42:55

同じ寛永通宝でも波銭は4文じゃないですか

これは江戸時代は後期になるに従ってインフレになっていったということですか?

119日本@名無史さん2013-05-10 17:41:05

籾なら百年もつけど、脱穀してしまうと数年じゃないの?

120日本@名無史さん2013-05-18 02:31:10

>>109

面白い話だなあ

昭和28年まで1厘として寛永通宝使えたのも思い出したw

>>119

籾ってそんな持つのかスゲー

132日本@名無史さん2017-05-07 23:17:18

日銀の資料館に行って来た→複数言語の通貨が展示されてたんだが

日本では公共の掲示は4ヶ国語表記が基本だ

と言う事は紙幣の表記も遅かれ早かれ4ヶ国語表記になるのかな?

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